masashioってどんな人

正直に言いなさい。懲戒免職になるよ。

もう20年以上前になりますが、大学を卒業後フリーター生活から抜け出せた会社での研修中に不祥事を起こしてしまいました。

業界でも最大手の会社で年収もそれなりに高く安心だと思って有頂天になっていたものです。

剣道をやっていて礼儀を厳しく叩き込まれたこともあって、新人研修では「ビシっとしているね」と上長に褒められて、同期をまとめるリーダーにもなり準風満帆の毎日でした。

ところが数ヶ月してプログラミングの技術研修になってから雲行きが変わります。

テストの点数が低くて、落ち込む毎日が始まったのです。同期はどんどん配属先が決まり研修室からいなくなっていきました。

とにかくこの場から逃げ出したい

仕事が終わってからも休みの日もこんな考えで頭がいっぱいになったのです。

この時に研修についていけずに困っていますと相談すればよかったのですが、それでは評価が下がると思って最悪の決断をしてしまいました。

母が病気になって看病しなければいけないと虚偽の報告をして会社を休業したのです。

地方都市から出てきて関東にある会社の寮に住んでいたため、会社には母の看病のため実家に戻ると嘘をついて、そして、家族には配属先が、っ地元になったと言って実家に帰りました。

それからは毎朝、仕事に行くふりをして町中を徘徊し夜になると家に変える生活を1ヶ月程度続けていました。

休業期間も残り数日となったある日、会社から実家へ僕の様子を確認する電話があり噓がばれてしまいました。

父が僕の上長と話し合ってくれて退職することになりました。

戻れるわけがありません・・・

父はわざわざ飛行機に乗って一緒に会社に謝罪に行ってくれたのです。

謝罪の前日に寮に泊まらせてもらうことになっていたので、一緒に研修を受けた同期にも休んでいた理由を話して謝罪しました。

「研修でうまくいかないなんて大した問題じゃなかったんだよ」

「相談すればよかったんだよ」

「君、凄く期待されていたよ。上長が褒めてたもん」

「辞めちゃうの?何とか残れないかな?」

嘘をついたことをせ責めずに慰めてくれました。「中には研修でもリーダーをやってくれていたよね。悩んでいるの気づけなくてごめんね。」と言ってくれる人もいました。

次の日の朝、上長に謝罪のため父と会社に行きました。

そこで当時の上長に技術研修での点数が低く同期に差をつけられて不安で逃げたくなったことを伝えました。

それだけでは会社を辞めなければいけないと思ったので、とりあえず母が倒れて看病が必要と仕方ない事情を作って休もうと嘘をついたことを伝えました。

なんでだ?相談すれば大した問題じゃなかったんだ。君には期待していたんだぞ

同期が言っていた通りの言葉が返ってきました。そもそも点数なんて、みんな悪かったんです。配属が決まるのだって優秀な順できまるわけではないとも教えてくれました。

お前のことを思って休ませてくれたのに何をやっているんだ

このとき、父に初めて殴られましたね。

上長からは

「このままじゃ君はダメになる。一人で抱え込むな。これを糧にして頑張りなさい。家族に迷惑かけるなよ」

上長は最後にこう言って見送ってくれました。

やっとフリーターから抜け出して一生安泰だと思って大手企業に入ったのにこんな形で辞めることになるなんて・・・

帰る時に会社のビルを振り返ると涙があふれてきました。

帰りの道中配置との会話はほとんどありませんでした。20代半ばの息子が嘘をついて会社に迷惑をかけて謝りに行った父の心境を考えると、また涙が出てきました。

家に帰ってから家族にも謝りました。兄も母も僕をせめることもなく優しく

「着替えてこい」

と声をかけてくれたのです。僕の様子を見て父に厳しく叱責されたことを悟ったんだと思います。この時に家族にいつか恩返しをしなければと思いました。

 

父親が脳出血で倒れた

忘れもしない2017年の2月某日、懲戒免職の危機を回避してから約15年、東京で働いている僕のスマホに母親から電話がかかってきました。

「お父さんが脳出血で倒れた。救急車で運ばれたよ」

驚きましたが、「意識はあり話もできるので命に問題はない、杖が必要になるかもしれないが歩けるようにはなるだろう」と医師から説明があったと聞いて安心していました。

しかし、どんどん父の容体は悪くなっていきました。ついには意識が混濁して話すことができなくなったのです。

当時はまとまった休みを取るのが難しく1日だけ父の様子を見に行くために戻りました。

そこには元気だったころの面影はなく変わり果てた父の姿がありました。意識はなく、自分で点滴を抜いてしまうため腕を縛りつけられてベッドに横になっていたのです。

「あんなに元気だった親父が・・」

「年に1度は母と部屋を掃除しに来てくれた父が」

「誰よりも家族を大事にして必死に働いてくれた親父が」

母は憔悴していましたが、家族の危機でも仕事のために戻らなければいけません。このころから雇われることの不自由さに気づき始めました。

それから3週間くらいたった頃に仕事中の僕のスマホに兄から「父が危ないので帰ってこい」と連絡があったのです。

面会に行くと父は全く動かなくなっていました。

しばらく家族で過ごして夜に実家に戻ると病院から「酸素濃度が低下して危ない状況」と連絡があったのです。

急いで病院にかけつけましたが、既に父は亡くなっていました。

「お父さん!なんで死んだの!!」

母が泣き叫ぶのを初めてみました。

僕は父のお腹に手を添えて

「楽になった?」

と声をかけることしかできませんでした。

家族のために朝から晩まで一日も休まずに働いて、やっと定年退職して自由に暮らせるようになったのに、その生活も4年で終わってしまったのです。

 

父の過酷な生い立ち

父は子供のころからすごく苦労していました。実の親を5歳で亡くし、養父に育てられていたのです。これが酷い人で

子供の頃に浮気して家に帰ってこなかったり、金が必要だから工面するように父に頼んできたり

子供の頃に浮気相手の家まで養父を迎えに行くなど屈辱ともいえることをやらされていました。

社会に出てからも父は養父のお金を工面するために知人などに頭を下げて回り、私の母方の両親(祖父母)が父のために貸してくれたそうです。

祖父母は人格者だったので父を責めませんでした。また、僕ら家族と同居もしていて可愛がってくれていました。

だからこそ父は後ろめたい気持ちが強かったんだと思います。

それで養父は何を買ったのかというと庭の見栄えを良くする「石」でした。お金を返すときも不機嫌で投げるように渡してきたそうです。

そんなことをする人でしたから、年をとったら相手にしてくれる人はいません。どんどん離れていくんですね。

しかし、父は養父を見捨てませんでした。運転ができなくなった養父を旅行に連れて行ったり(お金はもちろん父が払う)、年に何回かは片道5時間かかるところまで様子を見に行ってあげていました。

まさに周りの人のために動いて苦労してきた父が自由な暮らしを手に入れたと思ったら、4年程度で亡くなってしまったのです。

子供のころは週に1回は外食に連れて行ってくれた

休みの日は必ずと言えるくらい遊びに連れて行ってくれた

雨が降った日は車で学校や会社まで送ってくれた

ここまでして誰かにつくしてきた父の自由な時間が4年なんて酷すぎると思ったんです。

僕が子供の頃は仕事から帰ってくるのは毎日、夜中でした。

それでも1日も休むことなく働いていたのです。

大卒の同僚たちが昇進していくのに歯痒さを感じて母に愚痴ったこともあったようですが、47年間同じ会社で働き続けて僕を大学まで行かせてくれました。

それだけではなく一軒家も購入したのです。

雇われていたら全部会社に持っていかれてしまう

朝早く会社に行って夜まで休みなく働いても給料は一ヶ月をやっと食つなぐ程度です。

父が倒れた時も母がそのことで落ち込んでいる時も会社を優先しなきゃいけないなんて馬鹿げていると思いました。

自分の力でお金を稼ぐスキルがないと会社に依存して生きていかなければいけないのです。

そうなると給料、時間、人間関係、住む場所といったほとんどのことは会社に決められてしまいます😢

そこで、副業として始めたのがアフィリエイトでした🔥

 

アフィリエイトの参入と挫折(諦め)

アフィリエイトは商品をブログやsnsなどで紹介して売れたら報酬が入る広告のようなものです。

PCがあれば自宅でもできますから、飲食店のように設備や在庫に大金がかかることもありません。ほぼリスクなくできるビジネスなんですね。

購入した商材には人を動かすための文章の書き方やブログの構築方法が書かれていました。そして文章を極めれば、この先ずっと稼げる根拠も記載してありました。

ネットが発達したことで文章を読む機会は、むしろ多くなっている。

ブログに人の心に刺さるような記事を書いていけば買ってもらえる。

AIが発達してもお金を出すかどうか決めるのは人間なのだから

考えてみれば動画が多くなっても、それを再生するのかを判断するのは動画タイトルや概要説明などの文章ですし、yahoo知恵袋やwikipediaなど文章がメインの媒体も相変わらず健在です。

これも動画になったら、それはそれで面白いのかもしれないですが、動画を見るのも文章を読むのも目的は悩みを解決するためなんです。

それだったら、文章を好む人も大勢います。だから、信用してもらえる文章を書けるようになれば、10年先も20年先も食いっぱぐれることはありません。

なぜなら、給料の不満とか人間関係で悩むとか長時間労働で苦しむ悩みなんて国や会社に雇われる人がいる限り無くなることはないからです。

「学校に行って会社員になって40年以上も働き続ければ老後に好きなことができて幸せだ」という国の価値観教育がある限り、何年たっても同じことで悩む人が続出するんですね。

大切な家族のピンチや最後かもしれない時に仕事を優先させるなんて馬鹿げた話だと思うんです。

このような思いを胸にブログに記事をどんどん投稿していきました。そして、始めてから4ヶ月後についに月収3万円を手にしました。

「それからはどんどん収入があげることができたのです。」とはなりませんでした😢

本業(会社員)の収入だけでも生活するには困らなかったですし、体が震えるとか涙が出る症状(鬱病?)が稀ですが、あったのです。

また、兄も母も元気だったし、仕事が終わってから記事を更新するのが面倒になり途中でアフィリエイトを辞めてしまいました。

ダメな奴だなーと我ながらにして思いますが、こういう人は多いと思います。そうじゃなければダイエットで失敗する人はいないはずですよね。

食べなければ痩せるとわかっているのにできないんですから。

僕は就職氷河期世代です。その中でも超氷河期の部類に入ります。この世代を助けるために正社員として採用する活動が活性化しているようですね。

いいことではあるんですが、氷河期時代からもう20年以上、今まで一度も挽回するチャンスがなかったなんて思えないんですよね。

それは雇われることにしか目がいかなかったのが原因の一つだと思うんです。クラウドワークスでは動画の編集、プログラミング、データ入力など様々な仕事があります。

そしてノウハウはネット上にたくさん転がっているんです。この環境で這い上がれないのは就職氷河期だけが問題だとは言えないと思うんです。

いい大学に入って、いい会社に就職すれば安定した人生がおくれると教育されてきた世代にとっては厳しいかもしれませんが、自分が動けばよかったと思わない限り這い上がるのは難しいです。

僕は運よく不自由ない会社員生活を送ってましたが、続けられなくなることが起こります。

 

脳出血と鬱病を発症。会社を退職

僕は、しばらく正社員で働いた後は2024年の9月まで派遣社員で、大手ISPで障害やメンテナンスの告知・問い合わせに対応する部署で働いていました。

リーダーとしてマネジメント経験もそれなりに長く、派遣でも年収500万円を超えていました。何回か転職しており優秀なわけではないのですが、ほとんどの会社でメンバーの管理や指導をまかされていたんです。

 

月20万円あれば十分だったので、むしろ人間関係や働く時間に重点を置いて仕事を選んでいたつもりでした。

ただ、自分の仕事だけでも大変なのにメンバーの面倒も見ないといけないわけですから、やはり厄介な人がいるんですね。

障害が発生して現場がピリピリしているのに1人だけイビキをかいて熟睡している人の面倒を見ないといけなかったんです。

ちなみにその人は正社員でした。なんで派遣の僕が面倒を見ないといけないんだろと思いつつ、丁寧に指導したつもりです。

だけど、みんなが一生懸命、動いているときに熟睡するような人ですから僕の言うことなんか聞きません。

彼がいても戦力にならないですから、夜勤の時なんかはワンオペです。他部署からの問い合わせや調整、お客さんとのやり取りまで一人でやらなくてはいけません。

キツくなって上に相談しても

「彼に言っても無意味だよ。それに何とかするのがお前の仕事だ」

と改善されませんでした。

でも他部署の社員からは

「返答が遅いよ!何やってんの」

「仕事が楽そうで羨ましいよ。寝てられるんでしょ?」

と叱責を受けて誤解されていました。

2年くらいはなんとか堪えてきましたが、体調に異変が訪れます。朝、会社に通勤しようとしても体が震えて涙が出て外に出れなくなったのです。

ここまで酷くはありませんでしたが、10年くらい前から同じような症状はありました。

病院に行くと鬱病と診断されて会社も退職しました。

当時は寝ていた人や動かなかった会社を恨みもしましたが、生活していかなければいけません。そこで思いついたのが以前、途中でやめてしまったアフィリエイトです。

 

アフィリエイトに再挑戦

作業を始めて3ヶ月、2025年1月末に突然、立つことがができなくなりました。高血圧だったことや父が脳出血になった時に症状を調べていたので自分も同じ病気だなと予想はできたのです。

ただ、鬱病だったことやアフィリエイトの結果がでなかったことから、

「このまま逝ければいいな」

と救急車も、すぐには呼びませんでした。

ところが半日たっても生きていたし、立ち上がることができるようになっていたのです。しかし、PCのキーボードを早く打てなかったり、歩くときに左足の力が抜けるなどの症状はありました。

逝けないのか・・・仕方ない

と救急車で病院に運んでもらうと、やはり脳出血でした。皮肉にも父と同じ病気にかかってしまったのです。

ただ違ったのは脳出血の中でも軽傷だったことです。母や兄と話し合った結果、退院後は実家に戻ることになりました。

その時に初めて鬱病で会社を辞めたことを伝えたのです。当時は体が思うように動かなくて、鬱の症状があったことも重なりマイナス思考になっていましたね。

2人は飛行機で病院まで来てくれて引っ越しの手配から着替えの用意など全てやってくれていたにもかかわらず愚痴りまくっていましたね。😢

これは母への愚痴

  これは兄への愚痴。兄は20代で失明の危機から立ち直って今は自立しています。強い人です。

 

母や兄の支えがあり、しばらくすると早く退院してアフィリエイトで生活できるようになりたいと強く思うようになりました。

退院には三ヶ月かかると診断されましたが、リハビリ以外の空いている時間を自主トレに費やすことで1ヶ月半で退院することができたのです。

退院して実家に戻ってしばらく休んでからアフィリエイトを始めました。

このまま続けていけば自由な生活が手に入ると確信しています。

人がお金を出すときのパターンは既に解明されていて、大企業もその法則に沿って広告を出すことで莫大な売り上げを出しているからです。

アフィリエイトは集客から販売に至るまでほとんどが文章で構成されますから、そのパターンを文章に取り入れてあげれば稼げないはずがないんですね。

ネットの副業には詐欺が多い

アフィリエイトなんて稼げない

 

こういうのが、たくさんありますよね(〃艸〃)。

確かに派手な暮らしを公開して、嘘の実績を並べて集客している人はいます。

ただ、静かに結果を出している本物も多く存在するのです。彼らは派手な実績や私生活を公開しないので見つけにくいんですね。

また、買う方にも問題があります。先程、会社員だったときに仕事をせずに寝ている人や対応してくれない会社を恨んだこともある」と書きました。

だけど、アフィリエイトを諦めずに継続していれば雇われなくても生活できるようになったはずなのです。

結局は途中で投げ出してしまった自分の責任が大きいんです。

パナソニックの創業者の松下幸之助さんが「雨が降っても自分のせいだと思え」という格言を残してくれました。

挫折して辞めてしまったのは僕の責任で周りのせいではないですから、この言葉は深く心に刺さりました。

 

アフィリエイトは稼げる!人間がお金を出すパターンは解明済みだから

人間は

動かす人

動かされる人

の2種類に大別できます。

前者は貧乏で後者は金持ちの場合が多いんですね。

キング牧師やヒトラー、オバマ大統領など大物は人の心を動かすスペシャリストです。ヒトラーは小さな政党出身でしたが、熱狂的な演説で人気を得ました。

彼は仕事が終わったころを見計らって演説したといいます。

仕事が終わって、あとは変えるだけの方がシンプルだから話が頭に入ってきやすいんですね。

このように人を動かすための法則は昔から存在しているのです。

通販番組は数分で莫大な売り上げを叩き出しますよね。

現代に至るまで、人の心を動かす方法は受け継がれています。

そして、そのパターンは人間の脳がAIと融合でもしない限り絶対不変です。

ブログを使ったアフィリエイトは文章が命です。構成のほとんどが文章なので当然ですね。

ただの作文ではなく人の心理状態を理解して、正しい方向に導けるように文章を書ければ結果が出ないはずがありません。

物が売れないなんて、昔の人だって悩んでいたのです。それを改善しないで放置しておくなんて、過去の偉人達がやるわけがないんですね。

最後にもう一度僕の信念を書いておきます。

自由になるための法則は過去の偉人達が見つけてくれている。

ネットがあれば一般人でも、その法則を使って自由になれる

アフィリエイトは費用が少なくて自由になれる一般人向けのビジネスである

頭がいいか悪いではなく、やるかやらないかの違いだけである

稼げる仕組みをつくるための本物の商材は存在します。このブログでは、それに書いてある情報を惜しむことなく公開していきます。